【2018年職稱日語常用口語輔導素材之鹿をさして馬と為す】鹿日語
發(fā)布時間:2018-11-07 來源: 短文摘抄 點擊:
さしも栄華をきわめた秦の始皇帝も、壽命には勝てなかった。彼は不老不死の霊薬をもとめてあせりながら、ついに死んだ。遺言では、太子の扶蘇を位につけよということだったが、丞相の李斯や、側近の趙高などは、その言葉をいつわり、幼い胡亥を立てて皇帝にした。なぜなら、扶蘇が賢いのにくらべ、胡亥は凡庸であやつりやすかったからだ。これが秦の二世皇帝である!
二世皇帝のもとで、またたくまにのしあがり、秦の実権をにぎったのが、趙高だ。人にいやしまれる。去勢者の宦官である。
胡亥というのは、即位のしたてに、
「朕は天下のありとあらゆる快楽をつくして一生をおくりたい!
こう言ったという人物だ。趙高はほくそ笑んで答えて言うのに、
「まことにけっこうでございます。
そのためには、まず法を厳しく、刑を苛酷にして、法のおそるべきことを知らせるのが第一。
つぎに、先帝以來の舊臣をことごとく除き、陛下のこのむ新人を登用いたせば、これらのものは、陛下のため、身を粉にして政治にはげみましょう。
さすれば陛下は、心を安んじて楽しみにお耽りになれると申すものでございます!
「なるほど、道理じゃ!
と、胡亥は答えたという。こうして趙高は、競爭者の李斯も殺し、先帝以來の大臣、將軍、それに王子までも殺戮して、丞相にのぼり、実権をおさめた。そしてついに、胡亥にとって代ろうと企むまでになった。
だがそれには、宮廷の連中がまだ胡亥についているか、それとも自分につくかを確かめねばならない。それから、もし自分に従わないと為にならぬぞ、と示す必要もあった。この目的のために、趙高は、まことに奇態(tài)なデモンストレーションを考えだしたのである。
彼はある日、二世皇帝に鹿をたてまつり、そして、
「馬を獻上いたします!
と言ったものである。二世は笑って、
「丞相はヘンなことをいうぞ。
鹿のことを馬だなぞと。
これは鹿かな? 馬かな?」
そう言いながら、左右の臣下を見た。顔をふせて、だまっているものもある。趙高におべっかをつかって、馬でござる、と言うものも出た。
だが、?いや、鹿でございます?と直言する臣下もまだ何人かいた。胡亥は、わけがわからず、ぼんやりしていた。趙高は目を光らせて、鹿だと言ったものを覚えておいた。そして、そのあとで無実の罪をかぶせて、その人々を殺してしまったのである。趙高の言に反対するものは、以來宮中にはいなくなったという。
といって、趙高にひれふしたのは、全中國ではなかった。かえって、各地に反亂の軍がおこる。項羽?劉邦などの面々もあらわれる。こうした混亂のなかで、趙高はじゃまになった胡亥を殺し、扶蘇の子子嬰をたてて秦王にするが、こんどは自分が子嬰に殺されることになるのだ。
この話から、?鹿をさして馬と為す?ということばが出た。だからそれは、まちがいを威圧もって押しつけ、人をばかにすることや、人をごまかして理を非とし、非を理として押し通すこと
ところで、おなじみの?馬鹿?ということばも、ここから出たという説もある。なるほど、という気もする。それに、馬鹿(バロク)ということばはたしかにあって、おろかという意味をもっているのだ。
「胡亥は詩書も読めず、圣賢の言も遠ざけられていた。それどころか、趙高のような宦官に、殘酷な政治術をしこまれた。だから、天下の人はみな愚かというのでもなかったが、胡亥のほうは馬と鹿のけじめもつかないことになったのだ。?
というところから、馬鹿(バロク)という。まあ、胡亥には限らない、その臣下のなかにも、該當者がそろっていそうだから、バカの出典をここにもってきたくなるのは人情だろう。
しかし、この點どうもはっきりしていない。もとは梵語だという説があって、バカの由來するところ、さらに古くなるようなのだ。つまり、梵語で Maha または Mahallaka というのは無知のことだが、これが慕何となり、さらに馬鹿の字をあてがわれたのだという。この説のほうが有力だ。まあ、由來の判然としないのも、バカの語にはふさわしいかもしれないが。
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